Time of your Life

素敵な勘違い男の成長日記

疲れたときこそ運動を!

ここ最近、なーんにもやる気が起きないし、なにをやっても全然面白くないし、仕事も苦痛すぎて、、、年のせいなのかもしれないし、仕事が自分にあってないのかもしれないし、もしかして鬱病かもしれないと感じていた。

 

平日は自分のケツを無理やりたたきながら、泣きたくなるような気分を引きずったまま職場に向かう。「これからもずっとこの苦痛を耐えながら生きていかなければいけないのか、、」と絶望感を抱えながら通勤する。すれ違う人達も同じ思いをしてるのかな、、、なんて思いながらの毎日。

 

土日はとにかく動きたくなくてなーんにもしたくない。寝ころびながらスマホ片手にどうでもいい動画を見たり、「鬱病とは?」とググって自分に当てはまるかどうか診断してみたり。そんな生活が続いていた。

 

そんな時、誰かがこんな事を言ってたっけなって思い出した。

「疲れたときこそ運動を!」

体を動かすことが健康にいいのは誰だって知ってるし、分かってるよ。別に健康オタクじゃあるまいし。しかも疲れてる時は体は休めるべきだよ。そんなことより鬱っぽいこの毎日をどうにかしたいんだよオレは。誰か教えてくれ!こんな毎日もう嫌だ!!

 

体も心も疲れ切ってるから早くゆっくりしたい!だけど帰宅の途中またもや思い出す。

「疲れたときこそ運動を!」

こんな状態で運動なんかしたら自分の時間もなくなるし、明日疲れて仕事できねーよ。

「疲れたときこそ運動を!」

なんなんだよ。そんなことしても状況は変わらねーし意味ねーよ!

「疲れたときこそ運動を!」

 

こんなことを頭の中でぐるんぐるん考えてて、半信半疑だったけど結局運動しに外に出かけたんだ。こんなんで変わるもんか!と思ってた。でも心のどこかでほんの少し期待もあった。歩いたり走ったり。心拍数が少し上がる程度30分くらい。

 

 

運動した後どうなったと思う?

 

 

 

 

 

「最高に気分がいい!!!なんだこの感覚は!!!」

なんて説明したら伝わるかな。なんていうか、頭のモヤモヤがなくなったというか、霧みたいなものがとれたというか、、、それと体を動かした後の疲労感が最高に気持ちいい。とにかくスッキリした。不思議だしこんなに変わるのかとうれしくなった。理屈なんてもうどうでもいいんだけど、どうやら鬱とか精神疾患とかの心の病には、運動が一番効果が高いらしい。

 

自分が鬱なのか精神疾患なのかわからないし、僕は医者じゃないから詳しい事はわからない。だけど運動がもたらす効果は身をもって感じた。やらないでいつも通り苦しむか、それとも怠け者の脳を無視して最高の気分を味わって自分を取り戻すのか。この効果を知ってしまったらもうやらない理由がみつからない。

 

”運動に勝る薬なし”
これを僕の格言にしよう。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

地球のみんなの願い事

星新一さんの小説で僕の中では衝撃だった作品がある。うる覚えで細かくは覚えてないんだけど、確か、神様が地球上の願いを一つだけ叶えてくれるって話だったと思う。

 

どんな話かざっくり説明すると、神様が地球上のみんなの一番多い願い事を一つだけ叶えてくれるってなって、人間たちはどんな願い事にするかみんなで話し合った。だけど結局意見はまとまらず、「何もありません」となった。願いを叶えてくれる時がやってきて、心の中で神様に、「何もありません」とみんなで念じた。するとその瞬間、地球上から人間がいなくなった。そして動物たちが喜んでる。って話。
人間以外の生き物はみんな人間がいなくなることを願ったんだね。
この話すごく短いんだけど、インパクトがあって未だに覚えてる。

 

ちょうど家の目の前で道路の補修工事をしている。きれいになるし、走る車の安全にもつながるから人間にとってはありがたいことだと思う。だけど実はそう思ってるのは人間だけなのかもしれない。僕が小さい頃、家の目の前は誰も通らないような農道で、天然のホタルもいた。かつてそこには植物や虫や土があって、地球がちゃんと循環していたんだろう。今ではアスファルト。人間にとっては都合がいい。

 

最近は雨が降って水たまりができても「アメンボ」もみなくなったし、春になっても「テントウムシ」やら「かとんぼ」やら「モンシロチョウ」も見なくなった。それに加え、ゲリラ豪雨やら季節外れの雷やら、自然災害も増えた。明らかに地球がおかしくなってる。大げさじゃなくてこのままだと地球に住めなくなる日も早かれ遅かれ来るかもしれない。

 

すり傷ができると血が出て膿がでてかさぶたができて自然に治るように、この地球も元の状態に戻すようになんらかの力が必ず働く。手遅れになる前に人間が引き返さないと大変なことになる気がする。でも人間はそれでもやめない。むしろ悪化してる。

 

 

神様=自然だとしたら、どんな方法でこの地球を元に戻すと思う?

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

ブーメラン

便利な世の中になったもんだ。


欲しいものがあればわざわざお店に行かなくても、スマホでポチれば済む。困ったことや調べたいことがあるもんなら「ググる」。いやそれはもう古い。今は「タグる」。いやいや今は「アカる」。アカウント検索ですな。

 

「他人に聞く」なんてことはもはや若者は誰もしていないし、全ての情報はスマホ一つで手に入る。わからない事はもうこの世には存在しない”こと”になっている。

 

 

 

 

ほんとかな。

 

 

 

「あんたのその思考はほんとにあんたの思考?」

そしてその言葉は自分自身にブーメランのように返ってくる、、、

 

 

お読みいただきありがとうございました!

 

おじいちゃんギター

僕は最近ユーチューブを始めたんだ。今更だけど、、

な~んにもとりえがない自分だけど、唯一ギターだけは小さい頃からずっと好きで、今でもよく弾くんだ。だからってそこまで上手ってわけじゃない。ちっよっとだけ弾けるって感じ。そんなわけで、自分が弾ける曲をユーチューブに乗せようって思ってさ。

 

収益化を目指すわけでもなく、再生数を気にするわけでもない。ただ、日記を書くみたいに、「こんな曲弾いてたっけ?」とか、「あっ、これも弾けた弾けた!」ってな感じで記録に残しておこうって思ったのかきっかけなんだ。あ~それと、「何か弾いてー」って言われた時に(必ず言われる(笑))自分のユーチューブのリストから選べるじゃん!っていう単純な動機。

 

いざユーチューブを始めてみると、人様に見られるっていうプレッシャーでミス連発。まぁ、自分が好きな曲しか弾いてないから人はあんまり訪れないんだけどね、、だけど、たまにコメント頂いたり、グットして頂けるとやっぱりうれしいもんですな。

 

 

そんなこんなで今日も動画を撮りました。今日使用したギターは親父の宝物。黒澤楽器ていう、有名な楽器屋さんがあるんだけど、そこの創業者の黒澤常三郎さんが自ら手掛けたっていうレアなギター。1961年製のおじいちゃんギターだから、傷とかひび割れがひどいんだけど、新しいギターには出せないなんとも言えない音色がするんだ。今度修理に出そうと思ってるんだけど、何十万もかかるだろうな、、、でもいくらかかろうが治す価値のある大切なギター。僕が生まれたときからそばにある家族みたいな大切な大切なギター。もしよかったらおじいちゃんギターの音色を聞いてみて下さいな(^^♪

 

 

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最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

お久しぶりです!

去年の夏ぶりにはてなブログを訪れた。なんだか急に自分がどんな事を書いてたんだっけ?って思ってさ、、、まぁ対して書いてなかったんだけど読み返してみると、「あ~、こんな事思ってたっけ~」とか、「こんな事もあったよな~」とかさ。
そうしてるうちに書きたくなっちゃって、こうして今書いてる。

 

毎日仕事に行って帰って来て、ご飯食べて寝て。終末は家でゴロゴロしたりギター弾いたり。そしていつの間にか月曜日、、
ただただ毎日を過ごしていると、ただ時間が過ぎていくだけに思えてくるんだけど、こうしてブログを書いたり、読み返してると何気ない日常ってのも、本当は色々な出来事があって、自分がどう感じたかとか、そんなことがよく分かるんだよなぁ、、

 

だから日記でもいいしブログでもいいし、何かに残しておくってのはすごく大切なことなのかもしれないな。こうして書いていると、書きたい事がどんどん湧き上がってくる。脳みその断捨離にもいいかもしれないね。

 

そんな感じで、またブログたまに書いていこうと思う。いや~しかしタイピングも遅いし、文章も下手だねオレは、、

 

 

 

お読みくださりありがとうございます!

 

自分との約束

最近、下腹部の軽い痛みと、それにおそらく関係してるだろう精神的落ち込みを感じるようになった。全くと言っていいほど運動をしていなかった自分が、突然運動を始めたもんだから、もともと持っていた腎臓結石が動いて下腹部の痛みとして出てきたのか。突然の運動と伴って血尿が出たので、おそらくこれが原因だと思う。

精神的なことについては、「腸は第二の脳」と言われているくらいだから、きっと下腹部の痛みと関係があると考えている。腸について調べてみると、精神とのつながりが”かなり”あるらしい、、、

 

医者にかかればすぐ治るかもしれない。だけど一時的には治るかもしれないけど完治はしないと思う。根本的な原因を直さない限り、よくはならないと確信している。
昨日のブログでも書いたけど、僕にはやめなければならない事がたくさんあるんだ。

 

それをしないで医者にかかるなんて自分の体に失礼だし、体からも、「今までの生活じゃもう通用しない、だから改めてくれ!」と聞こえてくる。体に悪いもの、悪い事を長年続けていたにも関わらず、それらを頑張って処理し続けてくれていた。それも文句も言わず毎日毎日。つらかったろうに、、体が悲鳴を上げて僕に教えてくれているのに、もう無視はできない。ごめんよ。

 

だから自分の体に対して、感謝と謝罪の意味を込めて生活を改めたいと思う。ここでやらなきゃ、男じゃねー。覚悟を決める。覚悟を決めて頑張るから、体さん、僕の覚悟に答えてくれ。頼む。医者よりも自分の体の力を信じる!

 

 

やめること(悪習を絶つ)

 

  • たばこをやめる
  • 毎日の飲酒をやめる(週末と付き合いの時はよしとする)
  • 毎朝の缶コーヒーをやめる

この他にもたくさんあるけど、まずはこの3つ。
僕にとってはこれらをやめることは恐怖でしかない。だけどやる。

 


健康法はたくさんあるけど、その前にやめなきゃいけないことが先。
幼い頃、小児喘息を持っていたんだけど、その時教えてもらった呼吸法がある。
「細く長く吐く(限界まで)→吸う息は自然と入って来る」繰り返し、、
これと全く同じだと思う。出せば必ず入る。だから出すことが先。

 

この経過をブログに綴っていこうと思う。自分の為に。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

何かを「始める」よりも、何かを「やめる」ほうがずっと難しい

先週からウォーキングを始めたんだけど、なんだか体の具合が悪い、、、
血尿は出るわ、腸の調子がすこぶる悪い。健康維持のためにウォーキングを始めたのに、なんだかくやしい。僕は運動が体に合わないのか?それとも体が良くなる好転反応なのか?

血尿については調べてみたんだけど、マラソンランナーや、アスリートの人に結構多いらしい。これについては賛否両論があって、よくあることだから気にしなくても大丈夫だという人もいれば、一度検査した方がいいという人もいる。

 

そういえばまだ若い頃、血尿がよく出る時があって僕の大嫌いな病院で検査を受けた事があるんだけど、その検査結果は『馬蹄腎(ばていじん)』と言う、先天的な腎癒合異常があるためだと医師の先生に言われた事を思い出した。簡単に『馬蹄腎』を説明すると、腎臓奇形の一種で、本来は左右に一つずつあるべき腎臓が、下の端で融合している状態。要するに、腎臓が左右でくっついているという事。その形が馬のひづめに似ているのでこのような名前がついている。人口の0.25%と、結構レアな体質だ。

医師の先生は学生の時に『馬蹄腎』について学んだ事はあったらしいんだけど、実際に見たのは初めてだと驚いていたのを覚えている。いやいや驚くのはこっちのほうだよ。
馬蹄腎と同時に結石も見つかったんだけど、先生いわく、馬蹄腎の人は尿管が圧迫されるから結石もできやすいし、血尿も出やすいと言っていた。生活に支障が出る人と出ない人がいるらしく、まぁ、水分を多めにとっていれば問題はないだろう、、、と言っていた。それとビールは控えるようにと言ってたっけな。

 

話は飛んだけど、血尿が出たのと、腸の調子が悪くなったのは、ウォーキングするようになってからなのは多分間違いない。ウォーキングが体に悪い?僕には合わない?馬蹄腎のせい?健康維持のために運動を始めたのにどうしてだよ、、、

 

でも思いあたることがある。ウォーキングした後、喉がカラカラになったからギンギンのビールをがぶ飲みしてハイボールもがぶ飲みした。仕事中も麦茶だからと、半分凍った麦茶をがぶ飲みしてた。いきなり運動したのと、いつも以上に冷たいものを体に入れ続けた結果、体が悲鳴をあげて僕に教えてくれたのかもしれない。

 

血尿と体の異変が教えてくれた。
「健康維持?その前におまえにはやめなきゃならない事がたくさんあるじゃないか!」
そう聞える。毎日欠かさないギンギンに冷えたビール、ハイボール、たばこ、缶コーヒー、、、数えきれない悪習がある。僕は勘違いしてた。体にいいと思って玄米食べたり粗食にしてみたり、今回のウォーキングもそう。どんなに健康を意識しようが、自分の悪習をやめない限り健康な体は手に入らない。自分の欲求を見直して、何かを”手放す”ことのほうが重要なことだと気が付いた。

 

何かを始めるより、何かをやめるほうが難しい。せっかく始めたウォーキングは続けるけど、少しづつ自分にとっての悪習を手放さなきゃいけないと思った。
このブログだって、始めた理由は自分の成長を書いていこうと思ったのがきっかけだった。成長とは、何かをやり遂げることだと思ってたけど、何かをやめる、もしくは手放すことも立派な成長なんだと。たかがウォーキングを始めたことが、こんなに自分を見つめる機会に繋がるとは思ってもみなかった。
そんなわけでいろんな意味で、たまには自分の変化をこのブログで書いていこうと思う。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!